地元だからおすすめできる!ぜひ足を運んでいただきたいスポットをご紹介いたします!
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- HEP5
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- 最寄駅
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大阪メトロ御堂筋線
梅田駅 JR
大阪駅 阪急
梅田駅
阪急ファイブとして開業した商業施設でしたが、1992年に隣接する梅田コマスタジアムの茶屋町アプローズへの移転に伴い、大規模な建替えが行われ、1998年11月に若者を対象にした商業施設「HEP FIVE」が誕生いたしました。
HEP FIVEは、世界的にも初めての試みとして、建物と一体となった空調設備のある観覧車を組み込むとともに、アーティスト石井竜也氏プロデュースによるクジラのオブジェを、入口吹抜け部分に設けるなど、ショッピング・グルメ等に来店される方々に楽しんでいただける空間を演出しております。
梅田のランドマークのひとつとなった、関西の名所を一望できる真っ赤な観覧車や、様々なイベントが催されるHEP HALLなど、アミューズメントとエンターテイメントを兼ね揃え、関西の流行発信地にふさわしいブランドショップをはじめ、人気のカジュアルレストランなど、若者から絶大な支持を集める店舗が約170店揃っています。
HEP FIVEの「HEP」とは「Hankyu Entertainment Park」の略となっており、ここでいうエンターテイメントは娯楽という意味と、もうひとつ“もてなし”という意味を含んでおります。
お客様への“もてなし”の心を大切にして、何度も来館したいと思っていただける施設作りを目指しております。
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- グランフロント大阪
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- 最寄駅
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大阪メトロ御堂筋線
梅田駅 JR
大阪駅 阪急
梅田駅 阪急
下新庄駅
江戸時代の適塾や懐徳堂を例に挙げるまでもなく、世界に目を向け、優れたものを取り入れ発信してきた大阪。そんな大阪のDNAを引き継いで、新しい大阪の力を創り上げていく。そして、その力を関西、さらには日本全体へと強く広げていく。 新しいコンセプトをもつ“まち”が、2013年春、誕生します。
どこにもない、ここにしかつくれない“まち”へ。
広大な規模(24ha、甲子園球場の約6.2倍)を誇る「うめきた」は、 大阪市の成長戦略拠点特区構想の中核プロジェクトと位置付けられており、
関西都市圏の国際競争力向上の鍵を握っています。その「うめきた」の先行開発区域は公民連携によって推進され、
国際的な情報と人材の集積・交流拠点を形成し、多様なイノべーションを生み出す"まち"に変貌しました。
1日の平均乗降客数、約230万人。ビジネスが躍動するターミナル立地。
平均乗降客数約81万人/日※のJR大阪駅に加え、隣接する阪急・阪神・地下鉄などの6駅を含めると、
「大阪・梅田」は1日の平均乗降客数約230万人※を誇る西日本最大のターミナル。
そんな日本有数のターミナル立地に新たなビジネスを生み出すに相応しい知的創造拠点が誕生しました。
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- 通天閣
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- 最寄駅
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大阪メトロ御堂筋線
動物園前駅
なにわのシンボルの展望塔「通天閣」。明治45年(1912)、新世界のシンボルとして、凱旋門をモチーフとするビルディングの上にエッフェル塔風の鉄塔が建てられた。高さ64mという当時東洋一の高さを誇ったこの鉄塔は、「天に通じる高い建物」との意味で、明治初期の儒学者・藤沢南岳により「通天閣」と命名された。その後、火災に遭って解体されたが、昭和31年(1956)市民の要請を受けて再建され、現在に至る。2代目の通天閣は103m、初代より39m高い。5階には大阪を一望できる展望台や、足の裏をなでると幸運が訪れるという神・ビリケン像などがあり、年間100万人以上が訪れている。通天閣の頂上の丸いネオンは、色の組み合わせで明日の天気を知らせる「光」の天気予報装置でもある(白=晴れ、橙=曇り、青=雨)。また、地階の通天閣劇場では土・日曜日には落語や漫才が、月曜日には各地方で活躍する演歌歌手のステージが行われています。
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- あべのハルカス
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- 最寄駅
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大阪メトロ御堂筋線
天王寺駅 阪急
西中島南方駅
地上300m、日本一の高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」は、近鉄大阪阿部野橋駅、天王寺駅各線と直結。 日本最大級の百貨店や展望台、美術館、ホテルなど多彩な店舗が出店しており、1日中お楽しみいただけます。 大阪随一の絶景とともに堪能できるランチやスイーツなど、絶品グルメも充実。
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- 道頓堀
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- 最寄駅
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大阪メトロ御堂筋線
難波駅
1612年に安井道頓(やすい・どうとん)が私財をなげうち、南堀河の開削に着手しました。
大坂夏の陣で道頓は戦死しましたが、大坂城主松平忠明の命で従弟の道ト(どうぼく)が工事を引き継ぎ、1615年に運河が完成、開削者・道頓の功績を後世に伝えるため、「道頓堀」と名付けました。
その後、江戸幕府が大坂を直轄領とし、市街地の拡張策をとった時から道頓堀の町づくりが始まります。1619年、安井九兵衛が大坂三郷南組総年寄となり、1626年頃、芝居小屋を道頓堀に移転させたことにより道頓堀が芝居町となっていきます。道頓堀南岸は芝居小屋が次々と公認され、歌舞伎、義太夫、見世物などの小屋が並んで栄え、五座の櫓(やぐら)が立って賑わい、櫓町と称される芝居町になりました。
さらに、芝居の切符の手配や飲食の提供で見物客をもてなす芝居茶屋が周辺に軒を連ね、いわゆる「いろは茶屋」が誕生しました。
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